うつ病経験者が語る「うつは人生を取り戻すチャンス」(前編)

2019-06-06

アクアハーモニーの斉藤です。

以前投稿した記事の中で、「先生からリクエストがあり、これから重たいテーマと向き合う事にした」と書いたのですが、そのアウトプットの1つ目が今回の投稿です。(以前投稿した記事はこちら)

テーマは「うつ」。

東城先生との会食時にどういう流れでこの話しになったのか覚えてないのですが、自分が「うつ病経験者」である事を伝えたところ、「斉藤さん、それメディアに書いてよ」とのお言葉。

言われた瞬間、「正直向き合いたくないテーマだ…」と思ったのですが、以前から「自分がうつになった本当の原因は何なのか」「どうすれば自分はうつにならずに済んだのか」いつか向き合わなければならない、そう思っていた私は、「もしかしたら、その機会が来たのかもしれない」「今なら書けそうな気がする」と感じ、「わかりました」と即答していました。

あれから約2ヶ月が経過し、やはり重たいテーマだと改めて実感していますが、私の「うつ病体験」が誰かの役に立つかもしれないと考え、自分自身の「うつ病体験」を基に現在の考えを書きたいと思います。

はじめに

当時の私は、最近まで大手だった某電機メーカーのIT系子会社(親会社とグループ会社のIS部門を業務集約してコスト削減を図るため子会社化したもの)に勤務するサラリーマンでした。

サラリーマン時代の経歴を簡単に説明すると、22年半のサラリーマン生活の内、およそ2/3は所謂「経理システム」全般に従事していました。主にはグループ親会社/関係会社の生産管理システム内に位置付けられる管理会計システム(原価計算等)の開発・保守・運用業務を行い、その後、期間を置いてグループ全社共通の財務会計システム構築にも携わっています。残りの1/3は会計分野以外の生産管理システム開発業務や、自社の全開発プロジェクトのシステム品質保証業務に従事していました。

私の性格ですが、O型によくいる超マイペースであまり細かいことは気にしない超大雑把(悪く言えば、いい加減?)な性格だと自分では思っています。人付き合いは良い方(特にアルコールが絡むとメチャクチャ良い)と思いますが、あまり自分から話す方ではありません。基本的に聞く方です。今考えるとこれがいけなかったのかもしれません。これについては今後どこかで触れます。

あと、他人からは「めちゃくちゃ頑固」とよく言われます。自分ではそうは思っていませんが、納得出来ない事は誰が何と言おうとテコでも動きたくありません。納得出来れば何も言われなくても勝手に動きます(^^;) これを「頑固」というのなら素直に認めます。

こんな感じなので、人に好かれようと思ったり行動したりする事は(記憶の限り)ありません。基本的にわかってくれる人がわかってくれれば良い、というスタンスです。こういう処もいけなかったのかもしれません。

職業柄、メンタルに問題を抱え戦線離脱していく人達を見たり聞いたりする事は多い方だったと思いますが、こんな感じの自分がまさかうつ病になるなんて当初は思ってもいませんでした。ところがある日、「心が折れる」体験をし、その日以降「会社に出社して仕事をする」という、それまで当たり前だった事が出来なくなってしまったのです。

今になって考えると、うつ病になった事は私の人生にとって決してマイナスではなく、プラスに働いていると信じて疑いませんが、うつ病を患っている間はやはり辛いものでした。

うつ病発症まで

私が「うつ病」と診断されたのは、あと何日かで46歳になろうという2014年1月の事でした。

前年の3月まで別の部署で生産現場の業務効率化のためのシステム改善をしていた私は、それまでの仕事を後任者に引き継ぐ様に上司に言われ、4月から部署を移って新しいプロジェクトに参画する事になりました。そのプロジェクトは、インデント(個別受注生産)系のグループ会社4社に、当時グループ全社的に導入が進められていた新会計システムを導入するため、各社の業務システムを新会計システムに対応したシステムに変更するプロジェクトです。

4社に導入されている業務システムの会計システム連携部分は元々私が作ったものですし、導入が進められている新会計システムの方も構築の初期段階に参画していたので、その知識と経験を買っての異動という事でした。私自身が希望していた部署でもあります。

ただ、異動先で前年に対応した別会社の業務システム新会計システム対応の話しを聞いていると、そもそも対応出来るスキルを持ったメンバーが1人もいなく、課長自らが陣頭指揮を取って対応を進めたそうで、相当苦労した感じが伺えました。ところが引き継ぎも特になく、残っている資料にもマネージメント資料は殆どなかったため、前年のプロジェクトで参考に出来そうなものは殆どありません。何となく嫌な感じがします。

プロジェクトメンバーは私を含めて3人。私以外の2人は既婚の女性メンバーです。3人で4社のシステム変更を同時並行で行う訳ですから、単純に1人1社を担当する(これでもおそらく足りない)と考えても1人足りません。4社で1人分、1社あたり0.25人分足りてない訳です。この不足分を解消するため各社の現行システムの保守・運用を担当する有識メンバー4人にそれぞれ0.25人分ずつ参画してもらえないかと上司に何度も上申しましたが、「どのメンバーも多忙だし、そもそもその分の費用はお客さんから貰ってないんだろ?」と言われ、結果的に私の要求が通る事はありませんでした。費用面については私としては言いたい事が山程ありましたが、言ったところで覆る訳ではないので今更言っても仕方ありません。

梅雨明け頃に各社の現行システムを担当する有識メンバーの支援を得る事は諦め、全ての作業を自分たちでやっていく事に決めた私は、元々アサインされていたたプロジェクトマネージャーとしての作業に加え、開発者としての作業も開始します。メンバーの女性2人にも状況を説明し理解して貰った上で、ある程度の負担をして貰いましたが、2人とも家庭があるので限度があります。周囲には「お前にも家庭があるんだろ。今は男女関係ない時代なんだぜ」と言われるのですが、私を育ててくれた先人達の事を思うと、そういう考え方は私には受け入れられません。私の方で出来る作業は引き取り、問い合わせ等が減る夜間に開発作業を行う事で、次第に退社時刻が夜中の2〜3時という生活が始まります。

退社が真夜中なので公共交通機関は動いていません。家まで1時間弱歩いて帰り、家に着いたら1日で唯一の食事を少し摂り、寝るのは4〜5時。そこから2〜3時間寝て、起きたらシャワーを浴びて会社へ向かう。休みは日曜だけと決め、土曜は毎週臨出。時間がいくらあっても足りないので、メンバー以外の職場の人間とは必要以外は一切話さず仕事に向かう。そんな生活を半年ほど続けました。

足りてなかった1人分の殆どを私が引き受けたので、1人で2人分働いた訳ですが、文字にすると大した事ない感じがしますが、実際やってみるとかなり大変です。1人1日約8時間労働として通常の感覚では毎日8時間の残業をし毎週土曜も臨出する訳なので、残業時間に換算すれば少なくても約200時間/月という事になります。まともにやってたらあっという間に36協定違反なので、まともな出退勤は付けません。これはこれで会社の規則違反です。それも含めて自分で決めたことなので、見つかった時に処罰される事も覚悟の上。ただ、上司も私が尋常じゃない働き方をしていたのはわかっていた筈なので共犯です。兎に角、どんな手段を使ってでもお客さまのためにプロジェクトを最後までやり遂げる、当初はそう思っていました。

真夜中まで仕事する生活を始めて4ヶ月程経ち、秋から冬になろうという頃から負のスパイラルが始まります。まず初めに、原因不明の激しい目眩に襲われ1人では動けなくなるという事がありました。次に、これも物凄く嫌な予感はあったのですが、テスト環境と間違えて本番環境の重要なデータを削除してしまう、という事もやってしまいました。運悪くバックアップも取られていなかったため、私が咎められる事はなかったのですが、完全な状態で復活させる事は出来ませんでした。この件は自分自身がやってしまった事の重大さに殊更心のダメージがありました。

その後、思考能力低下のせいなのか作業量増のせいなのか全ての作業が中途半端になります。段々と遅れが目立ち始め、年末になると関係者からクレームが来る様になりました。年が明けると自分の所属部門内の「本当に大丈夫なのか?」という言葉にも「俺達に迷惑が掛からない様にしっかりやれよ」というプレッシャーを感じる様になります。その頃は、それまでずっと周囲の協力を得られないまま進んで来たので、「周囲に相談したところで、誰も助けてはくれない」と完全に諦めていました。

考えてみると、この負のスパイラルが始まった頃、既に「うつ病」の兆候があったと思います。本番データ完全削除は思考能力・判断能力の低下が原因だったと思いますし、原因不明の目眩もその時の脳の機能に何らかの異常があったと自分では思っています。年末年始に内外の関係者からクレームを受けたりプレッシャーを掛けられた時には「何とかしなきゃ」という考えは全く起きず、頭に浮かぶのは「何を言われようが、目の前にある自分の出来る事をやって、プロジェクトを少しでも前に進める」という事だけ。完全に思考停止状態です。

周囲の協力が得られない中、自分の無能さを痛感し、また他人からも無能さを指摘される状況下で、プロジェクトを少しでも前に進めるためには、「多少」心と身体をすり減らしてでも、残された手段は胆力しかないと自分に思い込ませていました。ただ「多少」と言っても限度があります。あの頃の私は、継続的な睡眠不足/栄養不足/体力低下/気力低下で既にマトモな状態ではなかったと思います。

出典:Gerd AltmannによるPixabayからの画像

そして2014年1月。運命の日がやって来ます。

担当した4社の内、1社については先行リリースする必要があったので、現行システムの保守・運用担当者に文句を言われながらも何とかリリース作業までは完了させました。(実際には入社以来の先輩だったので相当ストレスを掛けられ、これが最後の崩壊寸前の致命傷だったかもしれません。それもこれも自分が無能なのがいけないんです。舌打ちされる度に胃がキリキリと痛みました…)

そして本番運用初日。我々システム開発者の習慣として少なくてもシステム変更後の稼働初日はいつ何が起きてもすぐ対処出来る様にしておくのが常であり、その日も朝からスタンバっていました。その先行リリースしたお客さまからの指示で、システムテストの範囲は変更した機能部分だけで良いと言われ、変更したシステムによる稼働承認まで得てはいたのですが、システムテストの範囲外で不具合が起きないとは限りません。不測の事態が起こる可能性もあり、その日は朝からナーバスになっていたと思います。

意外にも(?)問い合わせや不具合の連絡はないまま始業から数時間が経ちました。もう直ぐ昼休み。

そこに1本の電話が鳴りました。相手は今日先行リリースしたお客さまとは別のお客さま。内容はよく覚えていません。何かの依頼だったと思います。

覚えているのは、電話の最中、鼓動が早くなり激しい動悸を感じた事。いろんな要素が重なり、瞬間的に極度の緊張状態に陥ったんだと思います。心臓がなんだかおかしな事になってるのがわかりました。

「あ、ヤバい…。このままだと俺、廃人だな…」

そう思った時、心の中で何かが音を立てて折れるのがわかりました。
心が折れるって本当に折れるんですね。知らなかった…

「…もう限界だ」

激しい動悸に身体の危険を感じた私は、動悸が治まるのを待ちました。動悸が治まると、

「もうこれ以上此処にはいられない。兎に角、家に帰らなきゃ」

急速に自分を守ろうとする自己防衛本能が働き始めました。お客さまからの依頼内容をメンバーに伝え対応を依頼。目の前の席に座っている上司に「すいません、帰ります」とだけ告げ、返事も聞かずに席を立ちました。

その後どうやって家まで帰ったのか覚えていませんが、何をどう考えても「明日からの出社は絶対無理だ」という結論にしかならず、それを何度も何度も口に出していたのを覚えています。苦しさと悔しさと哀しさが混じった、何とも言えない複雑な感情…

そして翌日。暫く出社出来る状態ではない旨、電話で上司に告げ、今後の対応について相談。気になっていた昨日先行リリースしたお客さまの状況も確認。軽微な不具合はあったが、大きな問題は出てないとの事。取り敢えずその点は少し安心しました。

その後はお決まりのコースです。産業医との面談をセッティングしてもらい、産業医と面談。産業医から休職するには専門医の診断書が必要との事で、近所の心療内科に診てもらい「うつ病」と診断され、暫くの間休職して自宅療養する事になりました。

「どうしてこんな事になったんだろう…」

頭に浮かぶのはそんな事ばかり…

 

という事で、長くなったので今回はこの辺で終わりにします。続きはまた。

ここまで読んで頂いた方、お付き合い頂き有難うございました。感謝👏